いのちなりけり / 葉室 麟
鍋島家と龍造寺家の因縁、水戸藩と鍋島藩の関係、幕府と朝廷、島原の乱の天草四朗などの話を織り交ぜながら、幕政に不満を抱く朝廷側の中院通茂卿そして水戸光圀と佐賀支藩の小城藩主鍋島元武に対峙する将軍綱吉と大老堀田正俊亡き後暗躍する柳沢保明に抗う雨宮蔵人の生き様が描かれていく。
水戸光圀や助さん格さんに当たる人物も登場する。黄門様とは違って、権力欲が強く好色で非情な人物として描かれていて驚きました。
小城藩 − 戦国時代後半から江戸時代まで
戦国時代後半になると、千葉氏は内紛などにより次第に衰えていきますが、肥前国内では龍造寺(りゅうぞうじ)氏が急速に台頭し、小城もその支配下に入るようになりました。
しかし、天正12年(1584年)に龍造寺隆信(たかのぶ)が戦死すると、その家臣鍋島直茂(なべしま なおしげ)が勢力を得て、その子鍋島勝茂(かつしげ)は慶長12年(1607年)に龍造寺氏の所領を継ぎ鍋島氏の支配が確立されました。
元和3年(1617年)、勝茂の庶長子鍋島元茂(もとしげ)は小城に知行をうけて、小城藩が始まりました。2代藩主・鍋島直能(なおよし)は、今の小城公園一帯(小城高校も含む)に館を築き、小城は小城藩の政治・経済・文化の中心地として、また、牛津は長崎街道の宿場町として栄えました。石高7万3千石あまりの藩政は明治維新まで続きました。 (小城市HPより)
小城の玄関口、小城駅(Ogi Station)からスタートです。
【JR小城駅】
小城の玄関口にある「小城駅」、今から100年以上前の1903年(明治36年)に唐津線の開通と同時にできた駅です。明治期に建てられた駅舎は、国登録の有形文化財に認定されています。
現在の駅舎は開通当時に建てられた歴史ある建物を、平成27年にリニューア
小城駅の正面には、いかにも昔風の書体でかかれた「小城駅」の額があります。
こちらは小城市出身の書聖、中林梧竹が書いたとされる書をもとにつくられたものです。
無人駅です。素敵なピアノがある待合室。
駅前ロータリーには墨筆を使って「鎮國之山」を書いているシーンを再現した、中林梧竹の等身大の像もあります。
小城公園
小城鍋島初代藩主・元茂から二代藩生直能によって造られた名庭園。
セコメントをする