八代市鏡町 -- 大鞘樋門群(おざやひもんぐん) (県指定)
2015-08-23


 水門は五ヶ所で、北から殻樋5枚戸、二番樋3枚戸、江中樋4枚戸(現3枚戸)、新殻樋7枚戸(昭和42年3月新橋に架け替えました)、三番樋3枚戸(埋没)です。
現存する殻樋は備前流と呼ばれている築造技法であり、二番樋、江中樋は合法と呼ばれる構築法になっています。
 備前流は、備前(現在の岡山県)の石工高野貞七の設計により、これまでより堅固に作られ、一部に巨石を使い、工事の監督であった広松輔周が無理に巨石を使わせたので、「広松のもがい井樋」ともいわれています。
 引き続いて文政4年(1821)に七百町新地が干拓されましたが、この後の樋門はすべて備前流、合法により築造されています。
 七百町新地干拓の折、ここの樋門堤防に長い小屋を作り、天草からの出稼ぎ労働者を収容しました。
 誰が言うとなく、「名所名所と大鞘が名所、大鞘名所にゃ水がない」という唄がうたわれ出し、新地干拓の潟担い労働唄として郷土民謡大鞘名所の発祥地となりました。
 昭和46年には、「大鞘名所発祥之地」の顕彰碑が、旧鏡町と旧千丁町の合同でこの樋門横に建立されています。             (八代市 文化振興課)


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2014年に訪れた  郡築三番町樋門  はこちら ↓  
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熊本県玉名市横島町 - 旧玉名干拓施設、潮受堤防と末広開(旧)樋門群 ↓
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