鎮西大社 諏訪神社、参道・鳥居 -- 長崎市上西山町18番15号
2018-10-14


鎮西大社 諏訪神社、参道・鳥居

孫の七五三の祝い、七五三祈願に、諏訪神社を訪れました。
孫は着付けを済ませてくるので現地集合。
で、一時間前に訪れ、一ノ鳥居からじっくり観てきました。
数十年ぶりの訪問でした。


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鎮西大社と称えられる長崎の総氏神様です。
諏訪・森崎・住吉の三社がおまつりされ、 厄除け・縁結び・海上守護の神社として崇敬されています。

長崎は、戦国時代にイエズス会の教会領となり、かつて長崎市内にまつられていた諏訪・森崎・住吉の三社を、寛永2年(1625)に初代宮司青木賢清によって、西山郷円山(現在の松森神社の地)に再興、長崎の産土神としたのが始まりです。
長崎 幼稚園 学校法人 諏訪幼稚園

さらに、慶安元年(1648)には徳川幕府より朱印地を得て、現在地に鎮西無比の荘厳な社殿が造営されました。
安政4年(1857)不慮の火災に遭い、社殿のほとんどを焼失しましたが、孝明天皇の思召しにより、明治2年(1869)に約十年の歳月をかけて以前に勝る社殿が再建され、さらに、昭和59年の御鎮座360年祭、平成6年の370年祭を記念して、二度の造営を行い現在の社殿が完成されました。
当神社の大祭(長崎くんち 10月7・8・9日)は、絢爛豪華で異国情緒のある祭として日本三大祭の一つに数えられ、国の重要無形民俗文化財に指定されています。    (諏訪神社 HPより)

諏訪神社 〓一の鳥居
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1835年(天保6)、青銅製の鳥居を建立。のちに台風により倒壊、戦時中の金属供出で鳥居を撤去。1952年(昭和27)、鉄筋コンクリートで一の鳥居が再々建立された。
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諏訪神社 〓二の鳥居
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                 二の鳥居まえの灯篭、天明3年(1783年)建焉とあります。
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1637年(寛永14)建立。諏訪神社に現存する鳥居の中で最古。最初は一の鳥居だった、石材は風頭石(安山岩)といわれる。


諏訪神社 三の鳥居、四の鳥居
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三の鳥居、1877年(明治10)3月建立。 〓四の鳥居、1923年(大正12)10月建立。






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「まよい子志らせ石」   (迷い子知らせ石)


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