長崎街道は江戸時代、小倉−長崎間57里(およそ228km)を25か所の宿場で結んでいました。
長崎街道 木屋瀬宿 〜 直方
木屋瀬宿
宿場は東構口(消滅)から西構口(現存)まで約1100メートルの街道で、裏通りのない一本道は本陣付近で「く」の字に曲がり、家並みはのこぎり歯状に建てられていました。これは、「矢止め」と呼ばれ、敵が攻めてきたときにそのくぼみに隠れたり不意をついて攻撃したりするために配慮されたものと言われています。
木屋瀬宿は赤間街道(内宿通り)の起点でもあり、西構口に追分道標があって、これには『従是(これより)右赤間道、左飯塚道、元文三年(1738年)』と刻まれています。
東構口跡  木屋瀬三丁目1番
黒崎宿方面からの木屋瀬宿の入口で、岡森用水路の傍らにあったとされています。
街道からちょっと外れます。
              扇天満宮   木屋瀬三丁目5番
                       本陣門
本陣6門中唯一残っている門は明治3年永源寺の正門として移された後、大正12年に再度裏門として移転されました。
                     黒田家の家紋(藤巴)の瓦
 
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