名護屋城 再訪 − 戦国武将の陣跡 佐賀県唐津市鎮西町
2020-05-28


4月7日の緊急事態宣言以降、不要不急の外出を控え、「三つの密」のある場所への外出を避けることを守って家でじっと過ごしてきました。大好きな音楽ライブも、居酒屋でのちょい飲みにも3月1日以降どこにも行かず、職場との直行直帰を行ってまいりました。

3月9日の軍艦島から、久々のロングドライブです。東松浦半島をぐるっと一周しました。
玄海町の浜野浦の棚田、肥前町 大浦の棚田の田植えが終わったころの様子を見に出かけました。
棚田の写真には午後の陽が良いかなと、その前に名護屋城・陣跡を見て廻りました。

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道の駅 桃山天下市で、「名護屋城跡 陣跡位置図」をゲット!

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                               (ネットから拝借しました)
戦国武将の陣跡
豊臣秀吉が文禄・慶長の役に際し築かせ、当時の大坂城に次ぐ規模を誇り、全国から160もの戦国武将が集結した「天下人」の城。
名護屋城の周囲には130以上に上る諸大名の陣屋が構築され、全国から20万人を超える人々が集まり、繁栄したといわれています。
名護屋城跡と23カ所の陣屋跡が 特別史跡 「名護屋城跡並びに陣跡」 に指定されています。


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前田利家の陣跡 ・・・ 道の駅 桃山天下市の駐車場


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名護屋大橋を渡り、伊達政宗の陣跡へ。 名護屋大橋より呼子大橋を望む。



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伊達政宗の陣跡  ・・・ 呼子方面との交差点が「伊達政宗陣跡」


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黒田長政の陣跡


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小西行長の陣跡




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徳川家康の本陣跡



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道の駅 桃山天下市の先を右折して、名護屋城の北側を進みます。


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