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標高430mの臥牛山頂上付近に建つ天守は、国の重要文化財です。
現存天守を持つ山城としては最も高い所にあります。
臥牛山の大きな自然の岩と人工的な石垣とがうまく組み合わされて、お城が築かれています。
鎌倉時代、有漢郷(現高梁市有漢町)の地頭秋庭重信が大松山に城を築いたのを起源とし、1683(天和三)年に水谷勝宗によって3年がかりで修築され、今の天守の姿になりました。
二層二階の典型的な山城だが、三層に見える様にデザインされています。
篭城戦を想定し、囲炉裏や装束の間が設けられており、二階には御社壇(神棚)があるのが特徴です。
天守 入口です。 左の紅葉の櫓跡が 八の平櫓跡です。
接続廊下(つなぎろうか)・・
1階ではなく、本丸手前にあった 八の平櫓とつなぐ廊下である。
石落とし
囲炉裡・・天守の中に囲炉裡があるのは珍しい
武者窓(連子窓)
狭間 外側はなるべく小さく、内側を広くして見える範囲を広くする工夫が・・
「昭和15年(1940)に皇紀2600年の記念事業として松山城を修築した主なる修築関係者を記し後世に伝う」とあります。
装束の間 - 籠城時の城主一家の居室床下に石を入れ隙間のないようにし、
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