秋月散策 葉室麟の秋月藩シリーズを読んで・・・その2
2025-10-23



葉室麟の秋月藩シリーズ
  『秋月記』(2009年)、    『蒼天見ゆ』(2015年) を読んで、改めて秋月藩に興味がわき
 ゆっくり散策しました。

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                開催中の”市制施行20周年記念特別展「八代藩主 黒田長舒」”を見て
       勉強させていただきました。

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秋月藩中興の祖 「黒田 長舒」(ながのぶ)
黒田長舒は、明和2年(1765年)日向高鍋藩7代藩主種茂の二男(幸三郎)として生まれましたが、天明5年(1785年)21歳のとき、秋月藩8代藩主として迎えられました。長舒は叔父の上杉鷹山をはじめ、先祖に上杉謙信・秋月種実・黒田如水・吉良上野介・妻方に山内一豊等多彩な血筋を持ち後に秋月藩中興の祖と讃えられました。
 秋月藩は、天明4年(1784年)7代藩主黒田長堅が嗣子がないまま、18歳で若死にし、断絶の危機を迎えました。秋月藩のこの事態に、福岡藩は秋月藩廃絶を画策しましたが、家老渡辺典膳などの努力で藩取り潰しの危機は免れました。この時、長舒は、父の高鍋藩主秋月種茂の母(春姫)が秋月藩4代藩主黒田長貞の娘という黒田家・秋月家双方の血をひき、若い頃から文武に秀で、その資質を高く評価されていたので、まさに秋月藩が跡継ぎとして渇望した人物でした。
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秋月家高鍋へ移封
1582年本能寺の変で 明智光秀、織田信長を殺害
豊臣秀吉は全国統一を目指し九州へ進攻
1586年 一方全国制覇を目指す薩摩軍は北上し、太宰府の岩屋城を秋月藩と攻め落とし新宮の立花城まで進攻するも南下してきた秀吉軍に敗北。
秋月藩の家臣恵利内蔵助暢尭(えりくらのすけのぶたか)は広島まで秀吉の陣容を偵察に行きそのあまりの偉大さを目の当たりにして秋月藩主の種実に秀吉との和議を進言するも「恐れをなしてそういう戯言をいう」と聞き入れられず、身の潔白を示すため切腹(後述 腹切り岩)。
1587 年 秀吉により秋月家は日向高鍋へ36万石から3万石で移封
1600年 関ケ原の戦い後黒田官兵衛の末弟直之が秋月を治め
1623年 黒田長政の三男長興が秋月藩初代藩主となる。


上杉鷹山は秋月の出身
上杉鷹山は米沢藩の藩政改革を成し遂げケネディ元大統領により日本で有名になった人物。
父は日向高鍋6代藩主秋月種美、母は筑前秋月4代藩主黒田長貞の娘春姫の次男として誕生。母方の祖母の豊姫が米沢藩4代藩主上杉綱憲の娘である。
これが縁で10才で米沢藩の8代藩主重定の養子となる。
(秋月の観光案内 福岡の小京都より)

秋月藩中興の祖 「黒田 長舒」(ながのぶ)
黒田長舒は、明和2年(1765年)日向高鍋藩7代藩主種茂の二男(幸三郎)として生まれましたが、天明5年(1785年)21歳のとき、秋月藩8代藩主として迎えられました。長舒は叔父の上杉鷹山をはじめ、先祖に上杉謙信・秋月種実・黒田如水・吉良上野介・妻方に山内一豊等多彩な血筋を持ち後に秋月藩中興の祖と讃えられました。

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